自分で言うのもなんですが、私は食べ物の味を見分けるバツグンの天性があるものですから、調理学校にでも行って、調理師の資格を取ろうかと試験まで受けましたが、結局、調理師にはなりませんでした。
特別に東洋医学を学びたいなんて気持ちからではなく、自分のやっている芝居をほかの立場から対象化してみたいという、ただそれだけのことで、調理師の学校へ行くつもりが、鏡の学校に なってしまったというわけです。1972年10月、37歳のときでした。
入る動機もいいかげんなうえに、その頃始めた山登りに夢中になって、勉強もそっちのけで山登りばかりしていました。
師について鍼灸を学んだこともなく、実にいいかげんなものです。そんなわけでいまだに、東洋医学の専門家だという意識がまったくないというか、もてないわけです。
幸いなことに、発見の会という芝居の集団は、徹底して自由な人間関係というものをめざしており、「自由な組織が自由な表現をつくりだす」とか「お互いを神として敬愛し、自らも神とし て自在にふるまう」などということを信条としていました。観客との対応も、つくる側が与え、観る側が受け取るだけの関係を、いつも破壊しようとしていたのです。
こうした場で鍛えられた眼でもって医療というものを見てみると、私が考えている演劇のあるベき姿と医の理想的な姿とが、同じ構造(創り手と受け手、治療者と病者の自由・対等な関係)で見えてくるのです。
しかも、初めて生命というものの働きを勉強してみると、これはまた、でたらめな自由、やりたい放題のメチャクチャができるようにつくられていると私には思えるのです。
「なんだ、私がメチャクチャをやってきたのは、生命の本質だったんだな」と思うとうれしくなって、だんだんと深みにはまっていったのです。
表現の自由というのは、生命の自由さのなかに大きく抱擁されているのですね、本当に!!
瓜生良介