私には、いまのところ「快」へ向かうその不思議な力を残念ながら立証することはできません。
しかし、生命科学の発展は、太古の昔より人びとの胸底にあった「快」への直観や洞察を、これからますます、はっきりとさせてくれると思っています。
ここで「快」についてもう一つお話しておかなければならないことがあります。
実は「快」には両義性というか、二つの方向があるからです。
一つは、初めは気持ちよく快適だが、やがては生命の破滅に向かう方向と、もう一つはなんだか面倒くさそうに見えるが、生命を真に充実させ、本当の楽しさが味わえる方向です。
というのは、私たちの人類文明はいま、間違った「快」のなかにおぼれかかっているのです。
それは、お金で人の心をねじまげる快感や、弱い人をいじめる快感、また生物をむやみに殺したり物を壊したりする快感、はたまた物質を独占する快感など、エゴまる出しの快感です。
これは 人間固有なもので、ほかの生物は、そのような感情は持ち合わせていません。
弱肉強食の世界と 人間は錯覚していますが、多くの動物たちは欲のために食をひとり占めすることはないのです。
相手を活かし自分も生きる知恵を持ち合わせています。それも自然とのバランスを保ちながら……。
ところが人類はどうでしょう。
大昔はともかく、ここ数百年の近代文明のなかで、人間のエゴ、欲望はついに地球の生態系をも破壊しているのです。
動物の乱獲、森林の伐採、廃棄物の投棄、化石燃料の過剰消費による汚染が地球をいま病気にさせています。
私たちの母なる星、地球の苦痛の叫びが聞こえるようです。
ここにエゴ、欲望に抑制がきかない人間特有の悪魔性をみることができます。
思いっきり「快」を求めれば、その個そのものにとってはそれなりに生命の活性化になるでしょうが、その方向性を間違えたり逸脱すると、やがてはしっペ返しがくるのも必然の成りゆきなのです。
この二つの「快」の方向性をしっかり見きわめ、大きな観点から全体をとらえバランスを常に重視することを私たちは心がけなければならないでしょう。
生の喜びをよりいっそう充実させるには、他をも生かし、自由な働きをさせてあげる心と行動がたいせつなのです。
本当の「快」は、万物共生共楽を求める慈悲の心でもあるのです。
瓜生良介